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笑顔の「みもと治療院」は○○○○○○○○を専門とする○○○○○○○○会社です。

TEL. 088-864-2729

〒783-0004 高知県南国市大そね甲1515

笑顔の「みもと治療院」

笑顔の「みもと治療院」

笑顔の「みもと治療院」のミッション

笑顔の「みもと治療院」のミッションは
この地球上に、
みんなが健康で、仲良しで、
笑顔いっぱいの、喜びにあふれた幸せな世界を
実現させることです。

院長自己紹介・略歴・
ブログはこちらクリック
https://ameblo.jp/paruanma39

味元哉憲(みもとさちのり)です。
私の夢はこの地球を幸せで笑顔いっぱいの世界にすることです。
一人でも多くの人が笑顔になって、
いつまでも若々しく健康で
幸せな人生をおくれるように
最高の施術をさせていただきたいと思います。

また、笑いヨガや姿勢の指導、食事指導も含めて
良いと思われるあらゆるサポート(お手伝い)をさせていただきます。

私の治療の基本は最適のツボを見つけ出す指圧がベースになります。
1987年からこの仕事をはじめ、のべ3万人以上の人の身体に触れてきました。
その後、様々な整体も学びましたが、
一番最初に習ったのが指圧であり、
今一番得意としているのも指圧です。
私が長年情熱を注ぎ込んできたのは、
もっとも効果的なツボ(トリガーポイント)
を正確に見つけ出すことです。
長年の探求のおかげで指先の感度は
世界トップレベルだと自負しています。

肩こりや腰痛だけでなく様々な病気、
症状を改善するもっとも効果的なポイント(ツボ)を
探り当てていきます。
針灸治療も同様に最適のツボを使っていきます。
針灸治療に関しては
効果的な治療ポイントを響かせるだけでなく、
「もぐさ」をもやす灸頭針という
温灸もやります。

CS60の施術にもこの私の長年の
ツボをみつけだす指圧、針灸の技術が
役にたっています。

整体に関しては、
気持ちの良い方向に動いてゆがみを調整する操体法をベースに
、PNFストレッチ整体、頭蓋骨仙骨療法などを使います。

セルフケアに関しては
私が最も関心のある分野であります。
笑いヨガや気功・太極拳など私自身の体験もふまえて
一人ひとりに相応しいセルフケアも
指導させていただいています。

ブログやってます。ここをクリックしてください


略歴

1959年
高知県高岡郡佐川町に生まれる
1978年
高知学芸高校卒業、小学校から高校まで12年無遅刻無欠席、中1から高校1年の終わりまで剣道部、高校2年から山岳部、新聞部
1979年
法政大学文学部哲学科入学、東洋哲学研究会、岩登りと雪山の岳稜会に所属
1980年 
初めての海外、インド旅行、ブッダガヤ、バラナシ、ラダック、ネパール、ダージリンなど
1985年
2度目のインド旅行、10ヵ月、ガンジス川源流の聖地巡礼、リシケシなどヨーガの聖地、仏教の聖地、アンナプルナとエベレスト街道のトレッキング、滞在していたリシケシのヨガ道場にて日本人から指圧を学ぶ
1986年 
東京都渋谷区にある日本鍼灸理療専門学校入学。太極拳部に所属
1988年 
東京都、恵比寿にある「えびす指圧所」にてあんま・マッサージ・指圧の出張治療の仕事を始める。操体法を学ぶ。
1989年 
3度目のインド。OSHO瞑想センターにて様々な瞑想、整体法、マッサージを学ぶ
1990年     
東京都、池袋、快医学(快療法)の「うりう治療室」に勤務。ほびっと村にて「やさしい快医学教室」を始める
1991年  
高知県南国市で「みもと治療院」開業
2008年  
PNFストレッチ整体
2009年  
笑いヨガリーダー、高新文化教室で笑いヨガ教室を開始。笑いの講演を高知県の各市町村にて開催
2012年
ストレッチポール姿勢インストラクター
2012年
霊氣レイキヒーリング
2006年
ワンネスディクシャインストラクター
2010年
シータヒーリングDNAベーシックコース、
初マラソンでフルマラソンではなく
四万十川100キロウルトラマラソンを完走 13時間55分
2018年 
土佐塩の道トレイルラン60キロ完走、
太極拳24式四国大会40歳から59歳の部で優勝
2021年
CS60と出会う。
10月龍馬脱藩トレイルラン70キロ時間外完走。
3週間後MANNO MOUNTAIN MADNESS 40キロ完走
2023年      
2月 空海トレイル30キロ一周でリタイヤ。
10月龍馬脱藩トレイル参加予定

さらに詳しい味元哉憲略歴 プロフィール

 昭和34年(1959)

8月1日、高知県佐川町生まれ。1500グラムの超未熟児生命力旺盛母乳で育つ。家業は満州で頑張った祖父の代から始まる建具屋。母は南国市から嫁入り、絵も上手だが字もうまい多才な才女。父は明るくて面白い酒飲み!魚釣りも好きで、須崎の海や仁淀川、あと母の実家のある物部川などによく連れていってもらった。佐川小学校5年生の時、マラソンで一番になる。6年間無遅刻無欠席。このときから始まり、やりとげると決意して高校卒業まで12年間無遅刻無欠席。

昭和47年(1972)

私立高知学芸中学校入学。高一の終わりまで剣道部に所属し、その後山岳部に。高一の夏、一人で自転車四国一周。高二の夏、日本海に沈む夕日を求めて野宿のヒッチハイク能登半島一周。高三の時は梶が森と三嶺によく一人で登る。世界一周の旅人やたった一人で命を賭ける冒険家や単独行の登山家に憧れる。一人で孤独に耐えることや命がけという事、そして厳しい大自然や未知なる外国に憧れを感じていた。一方で角瓶と文庫本にも憧れる(笑)

昭和54年(一九七九) 19歳

一年の自宅浪人生活をへて、法政大学文学部哲学科に入学、すぐに岩登りと冬山登山の岳稜会に入会。冬の富士山山頂や北アルプス剣岳や穂高に親しむ。

昭和55年(一九八〇) 20歳

大学2年の夏休み、初めての海外旅行、インド、ネパール、タイを放浪、一ヶ月のつもりが百日滞在。この旅がその後の人生に大きく影響する。

大学では酒とバイトとそして山、本も沢山読むことができた。美しい風景も山で沢山見る。両親にとても感謝します。卒論は「悟り」に関するもので、悟った人はどういった感じで世界を見たり感じたり、認識しているのかといったテーマのものを書いてAをいただきました。

昭和59年(一九八四) 24歳

一年留年して卒業。高校の教員を目指してアルバイト生活。しかし、アパートを引き払い再びインド放浪。大ヒマヤラで運命の出会いをして、聖者の弟子になろうとガンジス河の源流など、ヒマラヤのヒンズーの聖地を1ヶ月巡る。その後、仏教の聖地を巡ったり、ネパールヒマラヤのアンナプルナやエベレスト方面に2ヶ月のトレッキング。しかし運命の聖者には肉の目では巡り会えず。ヨガのアシュラムにも1ヶ月滞在。ここで指圧整体の先生に運命の出会いをする。ヨガと同時に指圧を毎日教わる。これが今の仕事を始めるきっかけとなる。東洋医学に興味を持つ。インドには結局約1年間放浪した後帰国。最高の旅。しかし旅と間に祖父が亡くなる。丁度その時は連絡がつかない状況で両親に大変心配をかけた。

昭和60年(一九八五) 25歳

八月帰国後赤痢で即佐川町高北病院に入院。佐川駅で両親と病院の方々のお出迎えをうける。長い髪、ひげ、薄汚れた赤い服が当時の私。高知に翌年の春まで暮らす。暮れに大丸でアルバイト。

昭和61年 (一九八六)26歳

東京渋谷の日本針灸理療専門学校の夜間部に合格。三年間、昼働いて夜学校という生活。

按摩・指圧・マッサージの免許を取得した三年の時から、麻布、六本木、品川周辺の深夜のあんま、マッサージの仕事に就く。あんまを習う。深夜の出張マッサージの仕事は大変だがなかなか面白い体験。赤痢後一年間下痢が止まらなかったこともあり、そのころ出会った玄米菜食のマクロビオテックの食事に変える。下痢は止まり体調もよくなる。学校では太極拳クラブに所属。24式と剣を習う。ヨーガも続ける。丁度そのころ気功もブームになり習い始める。二年生のときから針灸の正奇経統合理論の山下先生の勉強会に参加。経絡指圧も同時に習い始める。月一回ほど東京にこられるTAO指圧の遠藤先生の講習にも参加する。3年生の時、0−リングテストと快医学に出会う。

平成元年 (一九八九)29歳

卒業と同時に針灸の免許を取得。三度目のインド。六ヶ月。亡くなる直前の、光明を得た聖者バグワンシュリラジネーシに会うことが叶い友人、弟子となる。この時からパルバットという名前を使い始める。タオボディワーク、チベタンパルシング、クラニオセイクラム、インドマッサージなど興味深いボディワークを習ったり体験したりする。様々な瞑想法も体験する。

平成二年 (一九九〇) 30歳

東京国立谷保の一軒家に居をかまえ自宅で針灸・指圧の仕事を始める。週3日はOーリングテストなどを使い、難病治療にも取り組む池袋のウリウ治療室に勤務。快医学の治療法をマスターする。西荻窪のホビット村学校にて実践快医学の講師を務める。国立でクンダリニー瞑想会を主催。

平成四年 (一九九ニ) 32歳

弟の歯科医院開業に合わせて高知に帰り、南国市にて針灸・指圧・快医学の治療院を開業。快医学の講習会やヨガ・瞑想の会も始める。どのように暮らしていくのが良いのか考え、環境問題や田舎暮らし、「質素に豊かに」暮らすことや農業、そして瞑想に感心を持つ。

平成五年 (一九九三) 33歳

念願叶って、夜須町細川に理想的な田舎の家が借りられる。縁側の下には薪、かまど、薪の風呂、谷川のせせらぎ、畑、緑、鳥の歌声、東側に山があり冬少し寒いことや、二キロさきの山からひいている水の管理など大変なこともあったが、実に楽しい幸せな日々をすごさせていただく。

平成七年 (一九九五) 35歳

家庭の事情などから治療院を休止する。半年の旅をする。高知から船と陸路で中国の上海からチベットにはいり、大ヒマヤラを縦断してネパールに入ったのちインドの最南端まで行きカルカッタから帰国。素晴しい旅。三ヶ月間プーナにて瞑想やマッサージ、セラピーを体験したり学んだりする。

平成八年 (一九九六) 36歳

この年より本格的に「質素に豊かに」というテーマで田舎暮らしに入る。このときから長い髪。2005年まで9年間続ける。主に出張と桑名整形外科での週三日午前中の針灸往診で生計を立てる。細川の暮らしは実に楽しく、インドやネパールの山の暮らしにも似て、かまどで立ちのぼる煙や、マキの風呂、縁側で吹く尺八、鳥や虫の歌声。本当に静かだった。そして瞑想。収入は少なかったけど実に充実した豊かな9年間を過ごす。子供には恵まれなかったので、この時期は自分の時間を沢山持つことができた。本もよく読んだが、なによりも音楽に熱中する。尺八、横笛から始まり、ギターもはじめて歌もつくったし、三味線でビートルズやったり、チンドン屋やったり、「歌小屋の二階」にも何度も出演させていただく。最近はピアノの飛田SINJIと横笛、尺八のDUOバンブーピアノで演奏している。好評の笛のCD「遊笛」は1999年(39歳)製作。

平成15年 (二00三)春 43歳南国市でみもと治療院再開業。現在に至る。
平成18年三月ディクシャインストラクターの資格を取るためにインドに3週間滞在。帰国後再婚、現在一男一女の父。いの町八田に暮らす。今度の住まいもまた素晴しく。畑はあるし、友人と一緒に田んぼもやれてます。そして清流仁淀川のすぐ傍。家族仲良くとても幸せに暮らしている。

2010年 51歳、フルマラソンを飛び越えて、初マラソンで100キロ四万十川ウルトラマラソンにチャレンジ13時間55分で完走。これをきっかけにマラソントレーニングに燃える

2013年 54歳、茂平ハーフマラソン1時間31分19秒(自己ベスト)
2014年 高知竜馬マラソン3時間35分43秒(自己ベスト)
10月55歳、四万十川100キロウルトラマラソン2回目完走12時間57分(自己ベスト)、
どんどん調子をあげて絶好調であったが、結局この時がマラソンにおける自分のピーク。
2017年 57歳、高知竜馬マラソン最後のサブ4。記録3時間50分37秒、
しかし念願のネガティブスプリットにちかいペース配分達成。
2018年 58歳 高知竜馬マラソン4時間14分06秒、この年からトレイルランを走るようになる。
奥四万十トレイルレース36キロ6時間45分05秒,,
土佐塩の道トレイルラン60キロ、10時間36分54秒。
また、この年は太極拳24式四国大会40歳から59歳の部門にて優勝しました。
2019年 59歳、1月千羽海崖トレイルラン 7時間43分47秒、5月、太極拳全国大会出場
2021年 62歳 CS60と出会いました。この施術器具のおかげで、衰えていた体力が復活してきました。10月高知龍馬脱藩トレイルレース70キロコースに参加して時間外完走(笑)。その3週間後 MANNO MOUNTAIN MADNESS 40キロの部、完走。おかげ様でかなりの体力を維持できています。若返り法も実践しています。多くの人のよきモデルになれたらと願います。コロナが落ち着いたら、整体マッサージ教室や笑いの講演会を再開していきたいと思っています。
2023年 1月、2尺3寸の尺八制作、2月、空海トレイル30キロ完走予定(笑)今年は瞑想コンサートや笑顔の整体指圧教室、笑いの講演を再開したい。


整体・鍼灸との出会い

 この世界の最初の出会いは、24年前25歳の時1年あまりにわたったインド・ネパールの旅の最後の地、ヨーガの里リシケシのヨーガ・アシュラム(道場)で山口先生(女優の山口いずみさんのお兄さん)と知り合い指圧を習ったのが始まりです。

 こんなに気持ちの良い事があるのかと驚き、こんな仕事もあったのだと思いました。人に喜ばれ、自分も生活できて、上司もいなければ部下もいない。東京だろうが高知の田舎だろうが、ひょっとして世界中どこでも生きていけるのかもしれないと思いました。

 帰国後、東京にある日本鍼灸理療専門学校に入学。うれしくてやる気まんまん、大学も哲学科を出たこともあって、また東洋医学や哲学を学べる喜びでいっぱいでした。

 夜学に入ったので、昼は8時半から5時すぎまで仕事して、6時から9時まで学校というけっこうハードな3年間でした。
針灸の世界も入ってみると、様々でいろんな流派があり、あちらこちらに個性的な名人がいました。また整体にしてもいろんなやり方があって学校だけでは間に合わず、在学中からいろんな講習会に参加しました。

 2年後、あんま、マッサージ、指圧の資格がとれてからは、針灸で正確なツボをとるためにも人の体に触れておいた方がよいと思い麻布にある出張あんま・マッサージの治療院であんまを習って、学校が終わった9時から朝方3時過ぎまで六本木、高輪等の高級マンションであんまをやらせていただきました。これは田舎者の私には面白く、またその人の家や部屋に行くというのは、身体だけではわからない別の要素もみえてくるので、夜中の仕事で体もきつく、また危ないこともありましたが良い体験になりました。

 その後、指圧の治療院に移り、そこで波越指圧を習いました。同じ頃、東京に教えに来ていた遠藤リョウ及さんの経絡指圧を学びました。これがまたスゴかったです。遠藤さんは音楽の才能も豊かで私のあこがれの人です。本やCDも何冊も出されています。

 一番最初に出会ったのが指圧であることも含め、指圧に対する思い入れはかなり深いものがあります。自分がやってもらうのもやるのも大好きな手技、そして最も影響をうけた手技の一つです。

 指圧は普通、親指をあまりにも酷使するために、親指が変形してしまった先輩も何人か知っています。常に親指の痛みや手首の痛みを感じている指圧師やあんま師も数多くいました。私も鍛えることは嫌いではないので、親指を強くしようとしていましたが、なかなか難しく、そうしたなかで出会ったのが経絡指圧の人たちが行なう肘を使った手技でした。

 指圧の3原則に垂直圧・支え圧・安定持続圧というものがあるのですが、このなかの特に安定持続圧ということにおいて、肘は指と比べてはるかに威力を発揮致します。

 ただ肘は指や手掌と比べると鈍感です。最初の頃は感覚がどうしてもにぶいのでうまく使えないこともありましたが、どんどん感覚も鋭くなってきていまではかなり良い感じになりました。

 私のなかで一番敏感なのは、針でツボを探す時使う右手の中指でそれから親指ですが、安定持続圧をある一定の長さかけたい時に肘は最高です。また背中の2点同時圧を行なう時にも良いです。

 その他、タイ式マッサージの足を使った技やストレッチをはじめ、膝を使った技、足底部や手根を使った技なども身につけました。

 針灸学校を卒業した後、インドのオショー・コミューン・インターナショナルという瞑想を中心としつつマッサージや整体なども教えてくれるところに行ったのですが、ここはすごいところで私の人生に多大なる影響を与えてくれました。その後もまた二度にわたって行くことになり、通算で1年ほど滞在しています。

 私はここでマッサージや整体のクラスをいくつか受けました。クラニオという主に頭蓋骨と仙骨を調整する整体のクラスでは、コイン一枚分の圧という言葉に感銘をうけました。ただの手当てや手かざしならわかりますが、コイン一枚分の圧とはより具体的な感じで集中力も増す感じの言葉でした。

 ここでのマッサージというかボディワークはすべて繊細で静かで、瞑想ということがベースにあって、これ以後わたしの整体も瞑想的であること、瞑想のスペースに入ることが自分の一番理想的なものになりました。ただこれには、私だけの問題でなく、施術を受ける人の資質にもかかわっていてヨーガや気功、瞑想をやっている人はかなりやりやすく、スペースにも入り易いですが、一般の人は難しい場合も多いです。でも自分の力量が高まってくれば関係無いのでしょう。

 指圧は、この瞑想という言葉ともよく合います。手かざしや手当ても好きだし、良いけれど、できるうちは筋肉の深いところに働きかけることもできて、しかも静かで瞑想的でもある指圧をやっていこうと思っています。

 そして、自分の整体でもう一つ重要なものが操体法です。

 気持ち良い方向に動いていけば歪みも痛みもとれて病気も良くなるなんて、なんて素敵なことだろうと思いました。いろいろ問題もありますが、私達が大事に思っている矯正法です。

 操体法との最初の出会いは針灸学校1年の時、伏見先生の主催するワークショップでした。ここで出会ったのは操体法だけでなく宮下富美夫のヒーリングミュージックと指もみです。宮下富美夫さんは今にいたるまで私の大好きな音楽家の一人で、治療院で最もよくかけている音楽です。指もみは、足の指一本一本よくもんで前後に気持ちよく揺すっていく手技ですが、素晴らしく気持ちよく、また瞑想的でもあって、これまたやることもやってもらうことも大好きな手技の一つです。

 操体法にはその後、「快医学」のウリウ先生の所でも学びました。

 「快医学」に出会ったのは針灸学校の学生3年の時で、ほびっと村のクラスに参加したのが最初です。その後ネパールのセミナーにもご一緒させていただいたり、池袋の狭いけれどアットホームな治療室に勤めさせていただいたり、自分自身、ほびっと村で実践快医学のクラスをやらせてもらったりして、これまた多大なる影響をうけました。

 Oーリングテスト・操体法・綜統医学・飲尿療法そして息・食・動・想・環境いまでも私の治療観、病因観の基礎になっています。

 整体に関しての出会いはこんな感じですが、同時に針灸の道というものも平行して歩いてきました。

 針灸の世界も入ってみると、様々な流派があり、同じ針を使うにしてもそのやり方、考え方が少しづつ違うということがわかってきました。

 東洋医学の整体観に基づき、経絡やツボをつかって全身全体を調整する古典的針灸の方法のほかにも、ツボや経絡にあまりこだわらないで疾患部に気持ちよく響くポイントを探り当て(トリガーポイント・効果的刺激点といいます)ここを中心に針灸を行なう方法や針に電気を通す方法など、本当に様々なやり方がありました。

 私の今の治療の方法は、東洋医学の整体観に基づいて体の状態をみて行なうものです。整体にかかられる人の場合もふくめ、問診表の質問に答えていただき、骨格の歪み具合をみて、目、顔色、話し方、声の高さ、姿勢、雰囲気などを見ます。そして、あんま、マッサージ、指圧を兼ねて背中のコリ、手や足、首、そして腹を見ていきます。脈と舌は針灸の診察に特有のもののようですが、体の内側のことがよくわかることも多いです。

 実際に針灸で治療を行なうようになったのは、1991年南国市で治療院を開業してからです。また同時に香我美町の桑名整形外科にて午前中、針治療をさせていただきました。そのおかげもあって、ハリに関しては色々経験させていただきました。いまでも、火曜と金曜日の午前中は桑名整形外科で針治療をさせていただいています。

 針で難しいのは、いまその人の状態をどうとらえ、どのツボにどういう目的でどのような針または灸をするのかということですが、このことをどれだけ的確にやるか、これには多くの書物などの勉強量にくわえ経験や直観力も必要になってくるし、的のしぼれた質問をする能力も重要です。施術者の精神状態や体力、そして気を扱うレベルや人間性などもおおきな問題だと思うし、なかなか大変だが常に勉強しつつ、経験をつみながら、昨日の自分よりすぐれた見方、判断、治療ができるよう終生努力していきたいと思っています。

 ここ数年は、高知中国医学研究会にて木田先生、矢田先生から良い刺激をもらいつつ、中医の勉強に励んでいます。

 治療で使う針の本数やかかる時間は、短い人で一本1〜2分から長い人で20本30〜40分くらいまで様々です。治療時間は1時間とっているので、正確なツボを探ったり、体の状態を知るために、あんま、マッサージ、指圧を針治療の前後に行なったり、操体法で骨格の矯正を行なったりしています。

 針は痛いと思われるかもしれませんが、慣れるとけっこう気持ちよく、こった腰や背中にズーンと響く針は指圧の快感にも似ていますし、灸頭針といって針の上でもぐさを燃やす方法などは「ハリってこんなに気持ちの良いものだったんですか」と言わせるほどの気持ち良さがあります。

 老人や弱った人にはそれほど強い刺激はいたしません。弱刺激の針で数も少なくなり、あったかくて気持ちの良い温灸やローラー式のフレッシャーなどの治療が加わることが多いです。

 針灸も整体も一人ひとり一生懸命やらせて頂きます。

 特別どこか悪いところがなくても、針灸・整体は予防としても優れています。気楽にご利用ください。あんま・マッサージ・指圧は自分へのご褒美としてまた友人や家族のプレゼントとしてもよいのではないかと思います。出会いを愉しみにしています。

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